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戦時中に医療船として使われていた6千トン級の超大型船が冠島の沖に沈み、その船には得体の知れぬ巨大な魚が棲みついていた。マダイを狙っているとカゴごとかぶりつかれ、後にダイバーが潜った時には、その船室から巾デカイ目玉がこちらを睨んでいたといいます。そして、その魚は今も尚沈船を守るようにして、そこに棲みついています。
広大な若狭湾の真っ只中に浮かぶ冠島の周辺は、マダイの大物が狙える沖釣りの好場として知られるが、京都府舞鶴市の小橋や三浜の漁師の間では、戦後、丁度そのあたりに、とてつもない巨大な魚が棲みついていると言う噂がたち、『大魚(おいお)』と呼ばれ、何度も仕掛を引きちぎられたり、カゴまで喰らいついて、とてもタイに出来る芸当ではなく、ワイヤで釣るとアタリ一つで船をかしがせることもあったといいます。
潜って調査に入ったダイバーの話では、《船は船首を北東に向けて沈み、水中ライトで照らすと、船室の中から大きな目玉が光って見え、魚体は大人の男性の二回り程もある大きさで、照らされると驚いて動き出し、すぐに辺りが濁った。船室のあちこちに、その巨大な魚はごろごろしていて、ものすごい恐怖感に襲われ、とっさにはサメのような魚を連想した。》と述べておられました。
当店主が、この大物に何度も挑んだ昭和50年代後半には、その正体は判明していました。狙いの沈船周りのポイントは、潮がすこぶる速く、鉄工所に特注で作らせた1mのステンレス製の天秤に、最大で500号負荷のオモリをぶら下げて釣ります。
針はムツバリの45号、特大サルカン。道糸よつあみのシーハンター150号。釣り場は、冠島東北東沖約4キロ、水深122メートルに眠る沈船。
船は、水深122メートルの所に、高さ18メートルの船が少し傾いだ状態で沈んでいる。その船室のあたりに、仕掛がうまい具合におさまった時に限ってアタリが出る。
その為に、釣り船は必然的にアンカーで掛ける事が要求されるが、水深がたっぷりある上に、潮が飛び切り速いときているので、なかなか一筋縄ではかけられず、『何べんアンカー打っても狙う場所に船がとまら〜ん!』ある時は、『勘弁してくれ〜っ。とめる自信が無い!』と船長をいわしめた、すこぶる難度の高いポイントなのです。
昭和57年12月9日 午後2時30分 小浜市の角野正典氏が175cm(91kg)を仕留められてから、佐藤健一氏のやる気に拍車をかけた1尾となり・・・
昭和58年11月3日 午後3時 168cm(71kg)の巨大イシナギをついに、佐藤氏が仕留められられました。(現在は、釣り好きが高じて、小浜市で釣船業《幸進丸》を営まれておられますが、当時は釣り人として、かどや丸の乗り合い船から出船)
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■佐藤健一氏談
タイを釣っててバチーンと持っていく奴がいる。ハリスは6号から10号・20号と。それでも取れなくてワイヤの26番まで持ち出したら、かどや丸の息子さんが、今度は200号の竿をバキ〜ンとやられた。「こりゃ〜、もう竿では取れんで!」ということになって。「丸太ほどもあるお化けハモとちゃうか?」なんて言う人もおったなぁ〜(笑)。糸があまり太いんで僕らは《ロープ釣り》と呼んどりました。道糸には建築用の(ナイロンで14号位)糸を結んで、その端を船の金具に結わえとったんです。エサは、冷凍のスルメイカ3バイをまとめて、てっぺんの三角のところを刺し・・食うとネ・・黄色の糸がバチ〜ンと切れるの。そこからは格闘でした。
「えっ、一人でとったんかって?」そんなもん絶対無理!無理! 弟と船長と3人がかりで、もう必死でしたヨ!ロープさながらの太糸を5m程手繰ったところで、猛烈な引き込みに襲われたが、これは3人がかりで何とかしのいだ。底を切ってしまえば、少しは手繰るのが楽にはなったが、残り10m程にさしかかった所でものすごい気泡が浮いて来た。魚が浮いてからも大変! 弟が口に手を突っ込もうとするんで、あわてて止めた。二人がかりでエラに手を入れてひきずり上げました。
「お前より長生きしとるぞ!」と言う人もおりましたね。
■若狹堂釣具店 武田(魚拓)談
軽トラックの荷台に雨戸の戸板を敷き、その上に乗せられてやって来た、見たことも無いこの巨大な怪物は5人がかりで降ろしましたが・・・それからが大騒動でした。
魚拓用の生半可なハケでは間に合わず急きょ、障子紙を貼る時に使用する大型のハケを買出しに行く者、絵の具の色合わせをする者、魚拓紙を用意する者。その騒がしい事! 何しろ、こんな大物は初めての経験!眺めていてばかりでは・・・いざ、作業開始。しかし、魚が大きすぎて塗った尻から乾いて来る。塗り終わってからでは色がのらない。
あれやこれや騒ぎながら、塗った直後に紙を降ろして行く流れ作業に移行。
忘れられない魚拓師泣かせ?の苦労作でした。
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